作文
バックナンバー
第92回 思い出せた。
今日の昼間の仕事は
気を使う会話を気を使ってないように見せつつ
長時間行う、というものだったので疲れました。
ただ良かったのは、結構歩いたので
足も疲れてるということで、
全身疲れたのでよく眠れそうです。
しかし夕方いつもの珈琲屋さんで
今年一番無口な私になってました。
誰とも喋りたくなかったです。
そんな今日でしたが
職場の人と喋ってて、ふとムーミンの話になりました。
ムーミンは私も幼い頃、面白いとか好きだとか言う以前に
真剣に観ていた記憶があったので
宮崎駿のアニメばかり再放送せず、
ムーミンも再放送してほしい!
という話になったのですが
彼女が言うに、
「宮崎駿の作品は、ああ、作ったなあって感じがするんですけど
ムーミンは、もうそこにある!!って感じなんですよ」
とのこと。
その言葉に私も深く頷いてしまい、
この場合どの作品が、とかは個人の受け取り方なのでどうでも良いのですが
私が出会った良い芸術作品というのは
「すごいの作ったな〜」ではなく、
もう、そこにある、と言う
美しいものがそこにある、
初めて観たけど私もなぜだか知っていたような気がする、
と言う圧倒的な存在感と懐かしい感じだったなあ、
と思い出せたのでした。
このような名言を聞けて
やはり人と話すことは素敵なことだわ〜と
思ったわけです。
そして、ただただ良い作品を作りたし、
と心に誓ったのでした。
第93回 音楽の魔法
タテヤマユキさんのアコーディオンライブに行って来た。
ユキさんが奏でる、みんなが知ってる世界の名曲。
子どもの頃は画用紙でもちらしの裏でも
余白があればすぐに絵を描いていた。
ユキさんがアコーディオンを奏でると
そんな画用紙が私の目の前に広がって
私は子どもの頃に戻っていて
そこに自由に絵を描いている、
するとその絵は立体的になり
私の手を取って踊ったりする。
曲が終わると魔法のように消えて
また別の画用紙が広がる。
そんなふうに次々と色んな世界に旅をして
ユキさんの笑顔と拍手喝采でライブはおしまい。
そして帰り道、
この世はいつだってあの大きな画用紙で
私達は自由に絵を描いていいのだ、
という真実を思い出すのだ。
いつだって、自由にね。
第94回 ここから生きてみれば。
ほんとに単なる偶然で
500年前の詩に出会って
お守りのように大事に持っている。
唱えるだけではあきたらず
音楽にして自分の血を分けたものとした。
それは今では私が持つにちょうど良い短剣のようで
それでばっさばっさと切り裂いている、
私のうすっぺらなセンチメンタルを。
こんなにばっさばっさと切り裂きながら
一体どこへ向かっているのか
今となっては皆目分からないが
生まれてきた以上、死にむかってまっしぐらなのは事実で
それならばその間、豊かに生きようと思うのも
なげやりに生きようと思うのも
自由なのだ。
その点でだけ人間は自由なのだ。
ばっさばっさと切り裂いている、
私のうすっぺらな分身を。
真実というものがあるならば
私はそれに愛されてこの世にいるのだろう。
生きてみれば
ここで、ここから生きてみればと
短剣を握りしめて思う。
第95回 応援ありがとう。
どうしても草類が食べたくなり、
レタスと、グリーンマリーゴールド、フリルアイス、という名の
レタスみたいなものと
サラダセロリ、ベビーリーフ、ルッコラ、
赤と黄とオレンジ色の苦くないピーマンを買ってきて
どんどんちぎってタマネギも切って
野菜水きり器(と言うのかな・・楽しい道具)で
ぐるぐる水を切り、ツナも足してドレッシングかけて
食べましたら美味しかったです。
想像してたより美味しかったのは何のおかげか?と考えるに
どうもセロリのおかげだと判明。
セロリは天才だ〜。
昨日のテレビによると、
美味しさの秘訣は甘さ、出汁、脂身らしい。
カレーとか天ぷらとかしゃぶしゃぶだとか、
みんなが好きなメニューにはこの3つが含まれてるんだって。
音楽で言うとみんなが大好きという点で
サザンとか山下達郎みたいなものかな?
セロリは好きなんだけど、厳密に言うと
私の味方!という感じ。
それと、カンテのモロッコミントティーも大好きで
これをいただいていると
「ミントと氷砂糖だけで生きていきたい!」
とまで思ってしまう。
現在、セロリとミントと氷砂糖に
めっちゃ応援されている気がします。